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望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

限りなく透明に近いブルー 無脳のカメラ

 リュウは、ただのムービーカメラとして、現場を浮遊する。

 時折ストロボを爆発させ、現場を活性化させるニコマートとは違って、
何も指示されぬまま漂い、気まぐれにズームインとズームアウトを繰り返す。
遠近法ははなから壊れている。そしてそれを記述する文章も破綻している。

時折リュウ自身も被写体となるが、自他の区別はない。それどころか、人間も虫も果物も、感情も行動も、全てが等価で、全てが窒息寸前だ。

窒息感

 この現場には隙間が無い。全てが水滴のようなものでびっしりと覆いつくされ、飽和している。そして恐ろしい水圧。


そこでは感情さえもオブジェとして実在し、空間を閉塞させる。

限りなく透明に近いブルー』とは、
「記録=叙事=加圧=凝縮」と「記憶=叙情=無圧=放散」のつぎはぎだ。

 リュウは、赤ちゃんのようにただ見ている。そんな風に見ていると気が狂うから。

 リュウは見ることに自覚的だと言っている。

 頭の中に宮殿、都市を完成させるためだ。その描写は、空疎だ。リュウはそんなことはしない。記録はするが、記憶はしないはずだ。だから、リュウが想いを語る描写が下手になる。

 現場で起きている事実の固有性が、彼らの内面を凌駕する。常軌を逸した行動と、保守的な内面などという対比は不要だ。

『海の向こうで戦争が始まる』

 に連なるであろう場面の全てが、この作品においては、無駄だ。二つのことを同時にしようとした作者の問題だ。

この小説は傑作だ。

 しかし、小説として傑作なのではない。

 一編の映画として傑作なのである。
 三田村邦彦(新人)主演の映画は、未見だが、おそらく評価はされていないだろう。

限りなく透明に近いブルーだ」に帰結する。

 この一文が全てだ。

この小説に描かれているのは、当時のごく一部の地域の特殊な風俗のひと時だが、時代の全てが入っている。だから、素晴らしいのである。

 

限りなく透明に近いブルー』、30年ぶり文庫新装版

2009年5月16日14時57分

写真:新装版新装版

写真:単行本、文庫旧版単行本、文庫旧版

 作家村上龍さんのデビュー作『限りなく透明に近いブルー』が、講談社文庫で30年ぶりに新装版になった。デザインも、村上さん自身から、装丁家鈴木成一さんに変わった。

 物語の最後で「リュウ」は「もし本にできるならリリーの顔で表紙を飾ろうとずっと思っていた」と「手紙」を書いている。この通り、単行本、文庫旧版では村上さんが装丁を手がけ、自ら描いた女性の横顔が使われていた。

 新装版は、カバー一面に長方形の青色を配置した。鈴木さんは「作品を改めて読んでみて、ドラッグやセックスの衝撃的な内容を描きながら、ゆるがない著者の視点を感じた。それをシンプルでスクエアな青色で表現しています」と話している。税込み420円。