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望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

塚本晋也監督「野火」 未見未読

Web D!CE の以下の記事をよんで興奮した。

巨大な自然を舞台にした密室劇として描かれた『野火』塚本晋也監督インタビュー

今回の映画も、痛みを感じさせてくれそうだ。

塚本晋也監督は、身体と精神とが呼応して変容し、戦いによってそれが加速していく様を、執拗に撮る。

鉄男

鉄男では、異物挿入の快楽や、日常のストレスから身体内部に鉄が生じ、全身が武器と化していき、戦いに駆り立てられて行く。破壊のためなのか、破壊から守るためなのかに違いはない。両者はそれぞれの存在意義と完全に一体となることができ、「ニュータイプなんて戦うための道具だ」などといった葛藤はない。

精神→鉄→肉体変容→精神変容である。

東京フィスト

東京フィストにおいて肉体を武器化するものは、異物ではなくボクシングだった。ほとんど奇跡のように鉄が身体を侵食した鉄男のときとまったくことなるのは、痛みの存在だ。ボクサーの弟、ボクサーを志す兄、弟の肉体のもとに走る兄の妻。その妻は、身体のあらゆる部分にピアッシングをする。それは一瞬鉄男を彷彿とさせるが、彼女に必要なものは、身体の武器化ではなく、痛みだった。結局弟は試合で、兄と妻とは殴り合いのすえ、人間とは思えぬ相貌となるが、互いを完全に理解しあえるのである。

精神→肉体変容→痛み→精神変容

野火

さて野火においても、戦いにおける精神と肉体の変容を撮ろうとしているのだと、インタビューからは感じられる。

戦争

戦争という状況と、戦地におけるストレスは、どのように肉体を変貌させ、その変貌が精神をどのように蝕んでいくのか。ここでは前作までのように、肉体が力強く変貌するということはない。むしろ肉体はやせ衰え、傷つき、腐っていく。

恐怖

その変化は当初は鉄男において自らの体内に鉄の生じていることに戸惑い、恐怖する感情に似ているかもしれない。東京フィストにおいては「恐怖」に比重は置かれていなかったのは、その変化が自らが望んでいたものと信じられたからだ。

そして両者ともに『死』は希薄だったのである。野火においては生かすべき、と主張する肉体と、死すべしと主張する精神に葛藤が捉えられるのだろう。肉体の一機関としての精神は、衰弱によって、時折明滅するのみの埋め火でしかない。だから肉体を生かすために、人肉を食らうし、自らが生きるためには、たとえ味方であっても発砲するのである。

戦争という状況下で、肉体と精神が変容していき、これまでは肉体とともに勝利してきた精神が、今回は敗北する(精神と肉体という区分が無効となる)というのが塚本晋也監督の野火なのかもしれない。

戦争→精神変容→肉体変容→肉体