望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

哲学

大同小異の世界モデル

はじめに 好きな物を書き写す、描き写す。これは幼稚園の頃からの習いだった。ヒーローも、キャラクターグッズも、かわいい子も、その裸足のサンダルも、夕焼けも、ケーキも。 チラシの裏に書き殴ったつたないお絵描きの域を出ないものだったが、わたしは、…

観念論的唯物論 ―イデアと名前

はじめに 理解とは現象を名づけること、ということになっている。 「あの空の七色のアーチは何かしら」「あれは虹さ」ここで、「虹」という名を知ったことで、それまでその名前を知らなかった人の知見の変化量は「虹」という名前が増えただけのことだ。 だが…

『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』を私すること

はじめに 1998年10月に出版された本書を、2020年6月に読む理由は、現在、私が考えている事に有用であろうと思ったからだ。 書き手と読み手との間に生じる「時差」を明確に意識することも、その考えている事の一つだった。 また、パロールとエクリ…

実用性とはのりこなす術 ―『磁力と重力の発見3』

はじめに 長いことかかりましたが、読み終えました。『磁力と重力の発見3』 www.msz.co.jp このブログでも、散発的に感想文など書いていました。 mochizuki.hatenablog.jp mochizuki.hatenablog.jp mochizuki.hatenablog.jp 実は、前のほうをほとんど忘れて…

「俳句」百年の問い 夏石番矢編 その2

はじめに 寺田寅彦さんの他に、いくつか抜書した箇所ができたのでまとめておきます。全文書き写すべきだが時間切れだったのが、山本健吉さんの「抽象的言語として立つ俳句」です。そこでは、絶対に不可能な「共時性」を俳句表現においてみようとしており、そ…

華厳経の「数論」と落語「時そば」という問題提起

はじめに 『現代人の佛教4 華厳経の世界』末綱恕一著 1957.3.15 初版 1976.3.20第五刷 春秋社刊 を読みました。中沢新一さんの『レンマ学』の「華厳経の数論」の項で引かれていたからです。第一篇は華厳経の歴史的背景と、各品のガイドですが、細かなところ…

似てるっ! ――『音楽寅さん』における桑田さんの「似てるっ!」という感嘆詞

はじめに 音楽寅さんという懐かしい番組で、オープニングテーマを作る回を見ていると、桑田さんは、うまくいった! いい! 最高! など肯定的な感極まった時の感嘆詞として「似てるっ!」を用いていた。 これが、「来た」 同様の感嘆詞に「近い!」「来てる…

あれ? おもしろくないぞ 『タコの心身問題』

はじめに 『レンマ学』(中沢新一)を読んでいて、この本からの引用がありました。私は、脳=腸 を半ば本気で信奉しているフリをしており、その意味で「頭足類」には非常な関心を抱いているとともに、メンダコとコウモリイカには目がないときていますから、…

窃視0度の触角 ―ジャック・デリダ『触覚、』からモーリス・ブランショ『謎の男トマ』への序説

今回のブログに先立ち、私はいかなる性犯罪にも肯定すべきところはまったく無いものと否定し、断罪する立場にあることをあらかじめ表明します。 はじめに 2月5日 デリダ『触覚、』読んでたらブランショ『謎の男トマ』読まねばと思う。引用だけでもうたまら…

接続詞 ―「間」にある主観

はじめに 自明のこと。だが、自明、だからこそ、それを抜きにし、ては、伝わらないことが。 むしろ、「接続詞」だけが、私を構成しているといえる、ので、はないか? 接続詞は記号に擬態した感嘆詞である さらに、また、感嘆符(!)ですらある。 繰り返す、…

自由律俳句の歩き方 ―十重唯識と花鳥諷詠

はじめに 自由律俳句は、作るのに資格がいると思う。 その資格がない人間が作ったものは、単なる短文であり、珍文奇文だ。もちろん、それらの中には、一言ネタとしてはおもしろいものも多いし、「すごい」と思うものも少なくはない。私は、この「すごい」と…

私的華厳 1 物・事・理・法

物・事・理・法 物は時間的で理に依拠して変化する。事は空間的で法に依拠して移動する。 物は事の経時的顕れであり事は物の共時的実相である。 物には境界があり事には流動がある。 理は物によってのみ部分的に顕れ法は事によってのみ部分的に顕れる。 全て…

真如の分節により生じた「エロス」から考える「未来」の在り処 ―輪廻と映画の比喩の問題点

はじめに 仏教では存在をは、 ①「無常」だから「物はない」 ②「縁起」だから「物はない」 と考える。 「無常」とは、「存在する物はそのまま存在し続けることはない」ということを表している。なぜ、そのまま存在し続けることができないのか、といえば物は複…

『光について』ロバート・グロステスト ―コーラとしての〈穹天〉

はじめに 『磁力と重力の発見 1』を読んでいて、タイトルの著作が気にかかった。そこで借りてきた。 キリスト教神秘主義著作集3 サン・ヴィクトル派とその周辺 須藤和夫 他 訳教文館 2001.4.10初版 ここに『光について』『色について』「虹につい…

『磁力と重力の発見1 古代・中世』メモ 霊性・生命・機械→「神」→科学

はじめに なぜ真如は物質(存在)となるのか? を考える上で「光」と「重力」とは一体のものだと思う。そこで、『磁力と重力の発見』全三巻を読むことにした。 山本義隆著 2010.4.30第15刷 みすず書房 今回その第一巻を読み終えたので、印象深い部分をメモし…

仏教にとって移動とは何か ―無常といふこと

はじめに 「一所不在の業があるから大変だよ」と『ブッダの方舟』で中沢新一さんが話していた。私はこのような業を「無常」を感ずるための業なのではないかと考えている。 蝶のように舞い 一つのところにとどまらず、絶えず移動し続けることは、ボクシングの…

岩波文庫より井筒俊彦さんの著作が立て続けに刊行された狂喜

はじめに 偶然立ち寄った本屋の岩波文庫のコーナーで見つけたのは、図書館の検索で「該当なし」だった、井筒俊彦さんの『神秘哲学 ギリシアの部』だった。そしてその隣には、『意味の深みへ 東洋哲学の水位』と『コスモスとアンチコスモス 東洋哲学のために…

真如はなぜ分節する性質を持つのか ―『意識の形而上学』が竜を呼んだこと

はじめに 『東洋哲学覚書 意識の形而上学 ―大乗起信論の哲学』井筒俊彦著 を読んで、新たに拓けた知見について記す。 問題意識 こうした本を読むとき私はいつも以下の問いを解決したいと考えている。 「真如はなぜ分節するのか」 真如の私的定義 私にとって…

『渦説』―存在様態としての心霊

はじめに #一行怪談創作部 というtwitterでの創作怪談コンテストへについて、『一行怪談』の作者は「怪談」をこのように定義している。 ただ、応募作品の中には「怪談」となっていないものも含まれていました。「怪談」の恐怖とはなにかと言えば(これも私の…

精霊の王 第七章以降メモとまとめ(『六輪一露之記』を中心に)

はじめに 『国家の原理が作動していない社会に生きるとき、人間にはどんな思考、身体感覚、どのような姿をした超越または内在の感覚がふさわしいのか?』 中沢さんは、「シャグジ=宿神」に、国家の原理によって汚染されていない思考の痕跡を見出そうとして…

精霊の王 第六章までの雑感 (天台本覚とアニミズム)

『精霊の王』中沢新一 講談社 2003.11.20初版 2003.12.19ニ刷 「生命」の問題 禅と密教 仏教は物質を否定する。 解脱とは物質を生み出す運動からの離脱だ。仏教にとって物質とは存在そのものであり、そのように存在を結んでしまった物質を解きほぐし、大いな…

私説 夢と公案 -石原八束さんの(反)写生

はじめに 「私説 現代俳人像 上 倉橋羊村 東京四季出版 平成十年一月一日」を読んでいて、石原八束さんの「反写生の姿勢」について考えた。 慙愧の念 今回のブログでは、この「反写生論」への反駁を試み、「心の内」などという近代的自我を盲目的に信奉する…