望月の蠱惑

enchantMOONに魅了されたので、先人の功績を辿って、自分も月へ到達したい。

写生

語句をシェアしてパズルのように ―意味を窯変させる技法

はじめに 自動生成される俳句や短歌。それらは、語と語のなじみある繋がりを無視できるところに良さがある。日常の脳で、語と語をそのような関係性に置くことは規制されてしまう。この規制が言語ゲームのルールだと思い込まされてしまうネイティブにこそ、ラ…

俳人 北大路翼さん

はじめに 先ごろ、こんな記事を書いた ずっと、北大路翼さんの句集を写していた。『天使の涎』『時の瘡蓋』『見えない傷』北大路翼さんの俳句が好きで、あえて言うならば「清濁併せ飲む」感じが、松尾芭蕉を継ぐという矜持を感じさせてくれる。全身小説家な…

可能なる写生 ―季語について

ヤンシユ来る今日はギターを弾かない日 ヤンシユ。これは季語「渡り漁夫」の傍題だ。 角川の合本俳句歳時記には 「北海道で、春先鰊の漁期が近づくと、東北地方の農民が、出稼ぎにぞくぞくやって来る。これを渡り漁夫または「ヤンシユ」というのである」 と…

観念論的唯物論 ―イデアと名前

はじめに 理解とは現象を名づけること、ということになっている。 「あの空の七色のアーチは何かしら」「あれは虹さ」ここで、「虹」という名を知ったことで、それまでその名前を知らなかった人の知見の変化量は「虹」という名前が増えただけのことだ。 だが…

大地震 トンボ ユウクリ 飛でいる ―熊谷守一語録

ことあるごとに思い出す。熊谷守一さんの作品は言葉によらない俳句であると思う。わたしは既に、熊谷守一さんについてのまとまった感想ブログを書いていたと思っていたのだが、過去記事検索してみると、まだ手付かずだった。 熊谷守一さんと高野素十さんとを…

歌留多遊び ―寺山修司さんの短歌を教材に

はじめに 思想家が陳腐な語や出来合いの表現を自分に禁じようとするのは、それらのせいで精神がなにごとにも驚かなくなり、日常生活が実用的なものとなるからだが、芸術家も同じようにして、不定形な物、つまり独特のかたち(フォルム)をもったものを研究す…

まつすぐな道でさみしい のか ―共感の言語化について

はじめに 大晦日。昨年に続いてtwitter上で #大晦日108首チャレンジに参加した。 今回は徹底的に「今」の気持ちや状況をそのまま出してみた。短歌の態を成していないいないものをTL上に次々と放流し、煩悩を祓う、悩みを祓う、短歌に対する凝り固まった…

詩は俳句の(人の)形に写り込む―『素十全句集 秋』より「月」の俳句より

はじめに 英国式庭園殺人事件(グリーナウェイ監督)では、庭園を写生する絵師が写生機械と化して写生に没頭するあまり、自らが殺人事件の目撃者となっていることにその時は気付かぬまま、その克明な記録を残していたという、重要な要素があったと記憶してい…

読みながら書くブログ 『俳句入門三十三講』飯田龍太 その3 22~ 33

さらに圧縮して記す 22 前衛と伝統 キリスト教は人間の生きざまを非常にこまやかに、ないしは微妙に、一貫して教えておるように思う。ところが、仏教のほうはというと、生きざまというより死にざまにほうにとりわけ重点を置いておる。 指先の草の匂ひが取…

なまなましいなまやさしさ ―松本てふこ句集『汗の果実』読後感

youshorinshop.com はじめに 風物から人物。静物から印象。詩から事実。 松本てふこさんの『汗の果実』という句集には、章立てのようなものがあり、順番に「皮」「種」「汗」「蔕(へた)」となっており、「ブドウ狩り」かしら、などと思うのはこのように書…

隠喩的でない世界などない ―『ヴァレリー芸術と身体の哲学』の「序」を読んで

はじめに 広義における身体による芸術表現を考えるとき、必ず引き合いに出されるのがヴァレリーさんだ。そこで、タイトルの本を借りて読み始めている。 bookclub.kodansha.co.jp 伊東亜紗さんは、『どもる体』も書いており、他にも、私にとって当面、重要な…

「写真」を「俳句」に置き換えて読む ――ルイジ・ギッリ『写真講義』を読んで

はじめに www.msz.co.jp 捨てられない絵葉書のような、密やかなイメージを撮りつづけた写真家ルイジ・ギッリ(1943-1992)。その何気ない一枚の背後には、イメージに捉われ、イメージを通して思考する理論家ギッリがいる。自らの撮影技術を丁寧に示しながら…

『誰にも聞けない短歌の技法Q&A』 より

はじめに 俳句は悩まない。短歌は悩む。小説は悩むのが楽しいが、短歌で悩むことは苦しい。 だから、さまざまな入門書を読むのだが、結局のところ「なぜ短歌にするのか」という根源的な問いへの答えなど、あるはずはない。 苦しければあきらめればいい。 だ…

短歌方面から気になる俳句 ―阿部完市さんの俳句に感じるメルヒェン

はじめに 「現代俳句大系」を書き写していたとき、奇異な感を得た俳句を書く俳人があった。写生句を中心に書き写しているなかで、その俳人の俳句群はとびっきり奇妙な、フォークロアというか、今昔物語的というか、ポンチ絵的というか、とにかく好ましいケレ…

鏡はツルツルだということ ―『鏡と皮膚 芸術のミュトロギュア』

はじめに 本書のタイトルをみて、読まねばと思って読んだ。以下はその感想とまとめ。 www.chikumashobo.co.jp 鏡は皮膚とは違う。見られるモノである、という一点を除いては。 シュミラークルにまつわる議論は、だから退屈だ。むろん本書はそのような退屈さ…

塚本邦雄『秀吟百趣』メモ 二

前回からの続きです。 飛鳥田孋無公(あすかたれいむこう) さびしさは星をのこせるしぐれかな 霧はれて湖におどろく寒さかな 河の水やはらかし焚火うつりゐる 返り花薄氷のいろになりきりぬ 秋風きよしわが魂を眼にうかべ 昭和五年三十五歳の作。この3年後…

塚本邦雄『秀吟百趣』メモ 一

はじめに 一気に読んで、そのつぶさな鑑賞と審美眼に圧倒された部分をメモしたので、清書の意味で記す。つまり、本ブログに私自身の言葉は無く、すべてこの本からのメモである。 何回かに分けるかもしれない。また、取り上げられた作者別に記していくが、「…

定型が環世界であること

定型詩にせっせと励んでいて感じること。 世界を定型に切り取る。 定型に収めるために取捨選択する選択眼。 針の穴から空を見る、その針の穴を駱駝が通り、ひょうたんから駒が出る。 宇宙と一体化する異次元空間としての定型。 と、これは「他者・対象」を「…

梵鐘一打 ―セレクション俳人07 岸本尚毅集(邑書林 2003.6.10) その2

はじめに 前に、「季語を殺す」という観点で、本書巻末の散文の一つをまとめた。 mochizuki.hatenablog.jp 今回はその次に掲載してあった散文のまとめ。 俳句の中の俳諧 この散文の初出は「國文学(2001.7)」とのことで、テーマは「何をもって俳句は…

俳句にとって誠実さとは何か ――プレバト20201105 村上さんの句より

はじめに プレバト 2020年11月5日放送分で、村上さんの 秋麗チョコスプレーの淡き影 の、「の」が「に」に添削された。 村上さんは、添削後の俳句の良さは認めたようだったが、「それでも僕の着地点は「の」だったんですよ」と言った。 僕は「の」が…

連作となる俳句の連続性を担保するもの ――飯田蛇笏さんの「病院と死」

はじめに BFC2の話題がtwitter上で盛んである。 文学は尖がっているべきだと思うので、たいへんに楽しい。 一方、あまり難解なものだと、たとえ6枚とはいえ読み通す気にならない。 読書とは時に忍耐でもある。苦行の果てに行き着く愉楽をヨシとする向き…

「連作」という形式 ――消えるべき句の残り方

はじめに 「俳句」に連作はありえない。 と、いきなり断言してみる。ただしその「連作」が経時的因果によるのであれば。 「連句」と「連歌」の違い 俳諧で行う連歌が連句、連歌を庶民化したものが連句。と、ざっくりと定義する。詳しくはこちらをぜひ。 japa…

執拗な描写に憑かれる ――『カフカの父親』 トンマーゾ・ランドルフィ 雑感

はじめに 本書を読んだ感想を以下のようにまとめた。 しかしそれにしても海外の短編小説のとくにこの修辞のたたみ掛けは苦手だ。まるで文学とは修辞である、というようなものだ。ドイツでもフランスでもロシアでもイタリアでもスペインでもアメリカでも同じ…

「俳句」百年の問い 夏石番矢編 その2

はじめに 寺田寅彦さんの他に、いくつか抜書した箇所ができたのでまとめておきます。全文書き写すべきだが時間切れだったのが、山本健吉さんの「抽象的言語として立つ俳句」です。そこでは、絶対に不可能な「共時性」を俳句表現においてみようとしており、そ…

ありがとうございます。寺田寅彦さん『「俳句」百年の問い』夏石番矢編 メモ

はじめに 実作では全くそれを顕すことができていないにせよ、俳句をどのようなもの捉えているのかについては、だいぶまとまってきた今日この頃。 前回は『俳句の世界』を読んだ感想を書き、今週はもう一冊の方をかこうと思うのですが、まだ全然読めていませ…

『俳句の世界 発生から現代まで』 小西甚一 を読んで

はじめに どこかでだれかがだれかにお勧めしていたのを盗み見て借りて読んだ 『俳句の世界』講談社学術文庫。(もう一冊は読んでいるところ) 借りた本二冊 先日読み終えて、以下の感想を書いた。 「俳句鑑賞に新機軸を拓き、俳句史はこの一冊で十分と絶賛さ…

碧梧桐俳句集 ―俳句と象徴

はじめに 『碧梧桐俳句集』を読んで、こんな感想を書いた。 自由律俳句新興の祖として、荻原井泉水さんと双璧だった「新傾向俳句」運動の旗手で、一時は全国的一大勢力となったのにもかかわらず、荻原井泉水さんと袂を分かちて後は次第に迷走し「短詩」「ル…

キュビズム律俳句とは ―自由律俳句への自由なアプローチと助詞

はじめに 偶然出会った荻原井泉水さん関係のブログの中に、自由律俳句とは、随句とは、短詩とは、という内容がとても明快かつ詳細に書かれていた。 yahantei.blogspot.com の中の、この記事である。とても有難い。今日、これからしっかりと勉強しようと思っ…

井泉水句集(新潮文庫版) 付録 俳話より

はじめに 前回に引き続き「自由律俳句」だ。 私の手元にある荻原井泉水さんの句集は新潮社版の昭和12年1月7日の版で、昭和4年から昭和9年、鎌倉在住の頃の句を集めたものだ。昭和9年に五十歳となった井泉水さん的にも、よいまとまりの期間だったのだ…

自由律俳句の歩き方 ―十重唯識と花鳥諷詠

はじめに 自由律俳句は、作るのに資格がいると思う。 その資格がない人間が作ったものは、単なる短文であり、珍文奇文だ。もちろん、それらの中には、一言ネタとしてはおもしろいものも多いし、「すごい」と思うものも少なくはない。私は、この「すごい」と…