はじめに
「懐かしさ」は奇妙だ。
このことに引っかかり、解明したいと考えている人は多いようで、「懐かしさ」を検索すると、たくさんの検証、感想、ブログが出てくる。
上位に掲載される、yuta suzuki 様の
(その後、yun cafe へ移転なさっています)
ameblo.jpでは、京都大学での研究へのリンクを張っていらっしゃいました。
なつかしさは何によって引き起こされるのかを明らかにしました — 京都大学
ですが、ブログ主様もおっしゃっているように、この大学の研究報告では、解明されていない「懐かしさ」の要素が多く、どちらかというと、私の関心はその解明されていない方に強いのでした。
考えてみたいのは、未経験なはずの事物に対する「懐かしさ」の理由です。
懐かしさの列挙
2.生まれる前の音楽 オールデイズヒット の懐かしさ
3.チャイコフスキーは懐かしくないが、この曲は懐かしさを感じる
5.明治は懐かしいが、江戸は懐かしくない
6.トトロの世界観は懐かしいが、ナウシカの世界観は懐かしくない。
(ナウシカそのものは懐かしい)
7.夕暮れは懐かしいが、朝焼けは懐かしくない。
8.あるあるネタは懐かしネタに重なる部分が多い
9.秋の懐かしさと、夏の懐かしさとは性質が違う
懐かしさの手掛かりとなると思われる疑問
1.江戸時代の人は何を懐かしく感じたのか?
2.田舎の懐かしさとは、時間的へだたりか、空間的隔たりか?
3.世代が共有する懐かしさとは文化的なものに限定されるか?
4.未知なものについて、「先進的」か「旧式」かの判断がつけられるのはなぜか。またその判断は正しいものか。
5.懐かしさは必ず、好ましいのか?
6.未来を想定することが困難で、過去に想いを寄せるほうが好ましい理由は?
7.追憶は老人に許された慰撫であるなら、人類の種としての老いは、懐かしさを加速させるといえるか?
8.技術革新による文明の断絶的発展は、懐かしさの射程に影響するか?
9.このことから、「生まれる以前」の事物に懐かしさを寄せる理由を解明できるか?
10.このことから、「未来」の事物に懐かしさを感じさせるコードを導き出せるか?
懐かしさについての仮説
前提
「懐かしさ」そのものへは立ち入らない。(クオリア問題)
除外
遠い記憶による「懐かしさ」は検証不要
論点
1.懐かしさは学習されるか
2.懐かしさは共有されるか
3.懐かしさは文化的か
4.文化の段階的発展は懐かしさに関連するか
論点の検証
たとえば祖父が「懐かしいな」という感想とともに教えてくれた事物は「懐かしい事物」として記憶される。
夕暮れの懐かしさは、センチメンタルな記憶の浸潤によって「懐かしさ」に同化しやすい。
懐かしさと、憧憬、郷愁、懐古、崇高さ、喪失感、は重なり合っている。
懐かしさは人間の行為に対する事物にのみ発生する。つまり懐かしさとは文化的事物に対する感情である。
※「夕焼け」単体に懐かしさを感じるのは「崇高さ」に対する代替反応と考えられる。
坂本龍一さんによれば「バッハより前の音楽になると、なぜそのコードが感動を生んでいたのかが理解できなくなる」といっていた。(『EV.Cafe 超進化論』)
文化は段階的に発展する。人間の身体は、文化の発展に対応していく。発展の経緯は身体に刻み込まれている。過去の文化については、現在までの文化の発展過程をさかのぼることで、そのルートマップ上の位置を類推することが可能である。この、文化的な距離感が「懐かしさ」のカテゴリーに分類される。実際には経験していないはずの文化を懐かしいと感じるのは、そのためである。
ドラマよりCMのほうが懐かしさが大きい。
懐かしさには共同体や、時代が共有するコードがある。
エポックメイキングな技術革新により、ある文化の発展に断絶が生じた時、「懐かしさ」も断絶する。
文化の発展段階を跡付けるのは経験であり、未来を想定することは難しい。懐かしさは常に「過去」的であり、「未来」には向かない。
以上雑記として。
ところで
どんな内容だったのか気になりますね。
また、とても興味深い論文です(pdf 94ページ)
とくに、懐かしさを「デジャビュ」と結びつける着眼点は必須だったと反省しています。
懐かしさ像を決定する要素の研究