はじめに
以下の内容とブログタイトルが合ってないぞ? はい。はじめはタイトルのような三題噺になる予定だったんです。でも、書き始めたら違っちゃいまりあ。ぺこりんこ。ブログの最後にこの三題噺の骨子だけでも残しちゃおうかな、なんてと思ってます。日持ちしますんで、ぜひ。
それでは、今回もワクワクドキドキがとまらない 牧野真莉愛さんについての妄想ブログで癒せませんっ!
牧野真莉愛さんの写生
牧野真莉愛さんの「お話」はおもしろい。
ラジオや、ブログの、独り語りが本当におもしろい。
まずは、CBCラジオ 小学校作文コンクールで入選した真莉愛さん小学校四年生の時の作文をどうぞ (以下のサイト主さま。書き起こし。ありがとうございます。お疲れ様です)
写生文
写生文(抄)
つまり感情を生まのままに現さないで事件を透かして現すということになると思うのであります。だから写生文というものは事件を仮そめに取扱わない、忠実に大事に取扱う、その点に技巧を煉る、その事件の描写によって作者の感情を読者に運ぶという文章だと考えるのであります。写生の忠実にしてない文章は写生文でないと思います。忠実というのは唯精しく写すというのではなくて、その感情を運ぶのに必要なものを写す、省略をうまくする、即ち洗練された技巧が欠くべからざるものであると考えるのであります。(昭和十四年三月)『俳談』高浜虚子
牧野真莉愛さんは、世界を「写生」しています。彼女は『吾輩は猫である』の猫のように存在しているようですただし、猫のようにシニカルではなくて、もっと、ずっと「マリア的」な、慈愛に満ちた眼差しで。
拙なること拙ならずして豊かなり
「これは、小学校の時の作文だから稚拙なだけだ。それを純粋だとか、無垢だとか持ち上げるのは間違っている」という声もあるかもしれません。
それでは、続いて比較的最近のブログ記事をどうぞ。
かえでぃが(最近)
新しいこちょこちょをします
歩いてると後ろからこちょこちょします
今日は、5回くらい握手会が終わったら
かえでぃが来てくれて
一緒に楽屋まで帰りましたかえでぃがかえでぃのビスケットくれました
まりあのビスコは、今度あげる~
まだまだつづくよ
ヒミツのかえでぃお楽しみにね『アップトゥボーイさん(発売中)♡飯山裕志選手♪*゚』牧野真莉愛
2017-10-01 22:57:14
https://ameblo.jp/mm-12ki/entry-12315771302.html
総じて、こういう文体です。全く変わっていません。というか、ますます幼くなっているかのようです。
心持が滲み出てくる(抄)
この頃書いている文章はただ客観の事実をさりげなく叙していて、そのうちに段々とこちらの心持を運ぶという書き方を心掛けておる。
何でもない事柄が叙してあるが如くであってその裏面に深い作者の心持が潜んでおる。そういったところに到達するのが些くとも私の窮極の目的である。(昭和九年十二月)『俳談』 高浜虚子
お分かりいただけますか? 牧野真莉愛さんは、正岡子規、高浜虚子、夏目漱石さんなかが求めた「文(写生文)」を自分のものにしているのです。これは稚拙さでもなく、語彙の不足でもなく、感受性の貧相さでもなくて、いやむしろ逆です。主観によって環境を支配していこうという下心が、牧野さんには、一切ないということなのですよ。
魂の伝導師
この文体の対極に、石田亜佑美さんがいます。(以下、部分引用。改行調整有)
今こんな風に
"かわいいはるちゃん"とか"天使~"とか
言ってますけど実はねぇ、
加入してからの2、3年は、
どぅーがあまりにも愛される子で、
かわいいかわいい言われてるから、
いや別に私はかわいいって思わないし
かわいいとか言ってやんないし…って、ムキになってた時期がありました!笑
かわいいって認めてるからこそ、
なんかそれが悔しい!みたいな←どぅーは最高の仲間で、
大好きな人だけど、
ライバルでもあるから。お互いトゲトゲした性格してて、
加入してすぐ、
「どっちが10期を仕切るか」
よく張り合ってたよねぇ~笑一緒にいるうちに、
あれ?2人とも泣き虫…弱虫…って気づき、
助け合いながら
支えてもらいながら
ここまで来れたかなって思いますどぅーって、強いのか弱いのか、
分かんないときありませんか!?私が不安なときに、
さらっと安心できる言葉をかけてくれたり、
人を強くさせる力を持ってるけど、自分のことで不安になると、
急にきゅう~って小さくなったりかと思いきや、
新たな夢を見つけて、
一歩踏み出そうと決心した姿は、
すごく強くてキラキラしてるこんな風に、色んな感情を
外に出して見せてくれるのも
魅力の1つなのかなって思います!幸せな時もすぐ分かるよ
今日のバースデーイベント
すっごく、
すーっごく、
幸せそうでした今日も私は撮影があったので、
本当は行けない予定だったんですけど遅れてでもいいから…!!
と少し無理を言って、
行かせてもらってましたっ
ハスキーボイスなくせに、
嬉しいこととか、
びっくりしたことがあると、
本人の意思ではなく声のトーンが上がるのどぅーあるある笑
どぅーの裏声には、
なんだか儚さがありますね歌声、私もすごく好き
だからイベントを見てて、
歌って踊るどぅーが好きだ
ってねー
思ってしまったんですよー…何で今思うかなぁ
今しか見れない18歳の工藤遥を
今思う存分見とけってことかな!でも、これからもずっと見てる!!!
これからもよろしくね!!!
これからって、
多分一生だからね!!!笑
See you ayumin
対極といっても、石田さんを否定する意図はありません。私は彼女は「魂の伝導師」だと思っています。彼女の「想い」を伝えようとする力は、聞く人の胸に直接響きます。
ここでは、あくまでも「文体」を考えています。石田さんは「思い=主観」で「世界」を飲み込んで行くスタイルです。現象は、自分の思いの揺らぎの全てです。
牧野さんの文体の豊かさ
牧野さんの文体は、高浜虚子さんが言っている通りのものです。思いはあくまでも「形」として「事件」として、現実世界に在る、という認識が、そこにはあります。ある意味それは、事実に隠れ、暗号化されている場合もあります。読み解くことが出来る人もできない人もいるでしょうし、読み解き方に違いもでてくると思います。
しかし、その理解のゆらぎを、「多様性」として受け止める強度を「事実」は備えています。ある事実を、どのように受け止めるかは、受け止める人の人生に託されます。
私たちは牧野真莉愛さんの、豊かな人生を、受け止めることができているでしょうか?
博愛
さらに牧野真莉愛さんを特徴づけるものに「博愛」の精神があります。ときとして、それは「八方美人」と揶揄されることもあります。
12期のどっきり
①真莉愛さん達は、辻さんからのおはぎの差し入れをもらいました。真莉愛さんは、「おはぎは黄粉派」ですというギャグが好きですが餡子のおはぎも大好きだそうです。しかし、このおはぎには、味が全くつけてなかったのです。一口食べた真莉愛さんは、絶句し、一切の表情が消えます。
しかし、辻さんに、「味がない」とか「まずかった」とは言いません。
②吉澤さんに、「目標にしてる先輩は誰」と聞かれて、12期の一番最初に真莉愛さんは、「道重さゆみさんです」と応えます。吉澤さんは、少しムッとした顔をします。そのあと残りの三人はみな、「吉澤ひとみさんです」と応えます。
吉澤さんは、最後に真利愛さんを見て「道重さゆみなんだ」と言って睨んでいきます。吉澤さんと辻さんが部屋を出た後、真莉愛さんは、泣き出します。
①で「おはぎがまずい」といわない真莉愛さんが、なぜ②で「吉澤さんです」といえなかったのでしょうか? 空気を読む、という態度であれば、①も②も同じ態度でいいはずなのです。「嘘をつきたくない」というだけなら、「おはぎは不味い」というべきですし、「八方美人」なら、「吉澤さんです」といえるはずです。
真莉愛さんは、「おはぎ」についてこう説明していたと思います。
「辻さんの家では、こうなのかなって……」
真莉愛さんは、辻さんの家庭の味、ママの味を、否定することなどできなかったのです。空気を読んだのでもなければ、八方美人なのでもない。辻家をリスペクトしていたのです。多様性を受け入れようとしていたのです。つまり、真莉愛さんは、自分に嘘をつかない対応を貫いていたのです。ですから、「道重さゆみさん」である事実を、曲げることもできなかったのです。
この芯の強さ。ブレなさ。これが牧野真莉愛さんの素晴らしさだと私は思います。
誰にでも好きっていうじゃん?
牧野真莉愛さんのブログを読んでいると、誕生日や、コンサートのリハーサルなどで指導してもらうハロプロメンバーのことなど、みんな「大、大、大好きですっ」というテンションで紹介しています。(いちいち挙げません。ものすごい数です)
以前にも紹介しましたが、DVD MAGAZINEでも何回か、「このなかで本当に好きなメンバーは誰なの?」という質問を、真莉愛さんはよく受けていて、いつも困り果てています。そんなところから、「八方美人」説は根強いのですが、一方でこんなことがありました。
www.dailymotion.com20160425アイドルもういっちょ! 牧野真莉愛 後編
恒例のNDBランキングに物申す!?http://www.dailymotion.com/video/x472iqb
見返してはいないのですが、たしか、NDAランキングというのは「推しではないが、今、気になっているハロメンランキング」です。この「推しではないが、気になる」に対して、真莉愛さんは、激しく抗議しているのです。
「推しというのは、好きというのは、そういうものじゃない。こっちも好き、だけどこっちも気になるな、みたいのは絶対に駄目」
たしか、こんなようなことを主張していたように記憶しています。(勘違いだったらすいません)
ですが、これ、牧野さん本人はどうなの?ってことになりますよね。
三角形の失われた頂点
愛と感謝
真莉愛さんのブログが、「大好き」と「ありがとうございます」に溢れ、客観に思いを託して、いつもキラキラしているところに、私は二人の詩人を思い浮かべます。
二人のいる宇宙
二人は共に、「我」というものを通りこして、「宇宙」を感じていた詩人だと、私は思います。そして「宇宙」とは自分以外のいのち、物質に満ち満ちた、多様なものであり、全てが「いのち」として等しく存在するのだ、という確信に満ちています。そんな宇宙を慈しみ、生命=存在の悲しみを直視しつつ、その悲しみを喜びとする詩を、書き続けていたように感じます。
失われた一項
個人の思いは、大切な人の喪失を通じて、世界への祈りに昇華します。宮澤賢治さんには妹が、金子みすゞには弟が、その一項目として機能していました。愛はかならず、身近な独りに注がれるものです。その溢れる愛を受け止める一項目の「空」から、「宇宙を愛すること」が誕生するのだと思います。では、牧野真莉愛さんの、失われた一項目とは何だったのでしょうか?
0=X=∞
牧野真莉愛さんは、一人っ子でした。お母様は野球が好きでしょちゅう野球観戦にでかけていて、真莉愛さんもついていくことがおおかったようです。
あくまでも構造的に考えれば、両親と子供という三角形にあって、仮に、母親の項目が空白となっており、そこに、球場にいる応援団の大人たちや、食事をしたお店の主人、お世話になっている歯医者さんや、接骨医の先生。遠征先でしりあったお姉さん達。じいちゃんばあちゃんが、その都度、代入されていたのだとしたら……
狭くて広くて豊かな世界
牧野真莉愛さんが、NDBランキングを批判し、選択肢の中で好きなメンバーを示すことができない理由は、「この人も好きだけど、この人も気になる」という浮ついた心はいけないことで、常に100%の好きと感謝とをもって、全ての人を認めることこそが、正しいのだという認識によるものと考えました。
一人に決められないのは、一人一人のみんなが好きだからです。牧野真莉愛と、特別な一人一人。みんながいるからその中の一人として自分もいられるのだという思いが、真莉愛さんの根底にあるのだと思います。
単純な世界
牧野真莉愛さんにとって、ハロプロは球界であり、モーニング娘。は、チームなのだと思います。加入と脱退を繰り返し、メンバーは変わりつつも同じチーム名を背負い続ける。一人一人が役割をもって、チームのために貢献し、チームプレイに徹する。
幼い頃から、様々な球場で、いろいろな大人と接してきた真莉愛さん。その可愛らしさから、みんな彼女を笑顔で迎え、優しくしてくれたのだと思います。野球への愛が、今の牧野真莉愛さんの性格を、形成したといっても過言ではないでしょう。
尊い人
人との接触を避けて、山の中で千日修行した人なんかより、人の中で育ち、人をリスペクトし、みずからをさらなる高みへ引き上げようとする牧野真莉愛さんのほうが、よほど尊敬できますし、おはなしも、おもしろいです。
最強まりあへの道
選手へのリスペクトはそのまま、ハロプロの先輩、仲間へのリスペクトにつながり、選手の努力をみならって、自らを高めるための努力を怠らず、チームのために一丸となって勝利をつかむ、というひじょうにシンプルな価値観を疑う余地のない、正々堂々の勝負の世界。
「最強」を目指す真莉愛さんの、フィールドは、石川梨華(美勇伝)さんが歩み、嗣永桃子さんが歩み、道重さゆみさんが歩んでいる道だといえます。新庄選手が、ダルビッシュ選手が、斉藤選手が、田中選手が歩む道です。
さいごに
牧野真莉愛さんは、信じられないくらいよい人間だと思います。なので、周りにいる大人達は、絶対に彼女を護ってもらいたいと思います。
彼女は彼女の原理として、理不尽な暴力に晒される可能性が、ひじょうに高い場所に生きていると感じるからです。えてして、良い人は苦労するものです。どうか、彼女の前に不幸が置かれませんようにと、わたしは祈らずにはいられません。
所信表明。
『絶え間ない努力』
『永遠の目標道重さゆみさん』所信表明♡実験ちゃん♪*゚』牧野真莉愛
2015-12-12 22:57:52
おまけ(三題噺の構成)
聖母マリア
イエスを処女懐胎するマリア。罪のない人であったことから。周囲からの、誹謗中傷に耐え、イエスを産み育てる試練。神に仕えることを慶びとして、自らの人生をイエスのために尽す聖母。
これを、真莉愛さんがモーニング娘。'18を産み育てるというストーリに重ねてみる。 むしろ、聖母マリアの両親に興味がわく。マリアほど、純真ではなかった気がする。
マグダラのマリア
聖母マリアが、無垢な処女であったことから、もっと普通の、世間ズレした女性も、信仰によって救われるのだという事例が必要だったため配役された。イエスの前に現われる期間が、聖母マリアとは重ならない。真莉愛は、イエスの死を復活を見取ることになるか。そして、穢れとは?
色即是空のレクチャー なぜ、セックスが空と同じ性質をもつのか
中沢―そうか、わかった(笑)この身はあらゆるものが無限にあらわれては消えてゆく空なる場であって、セックスもそこを通りすぎるうたかたの現象である」ということかな。空は決して汚されないんだ。だから「色即是空」なんだ、あたりまえじゃないか。『ブッダの方舟』p.126
博愛の人、真莉愛は、求められれば与え、かつ、けっして汚されることはない。(ただし、真莉愛さんは、きちんと断れる人でもあるので、なし崩しで、ぐずぐずに、とか、泣き落としでとかいう方法は通じない。あくまでも、彼女の公正な基準が優先する。そして、彼女が「是」といえば、それは「穢れ」とはならないのである。
摩利支天
摩利支天(まりしてん, 梵: Marīcī, 訳:陽炎、威光)は、仏教の守護神である天部の一柱。日天の眷属である。
原語のMarīcīは、太陽や月の光線を意味する。摩利支天は陽炎を神格化したものである。
陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。Wikipediaより
摩利支天(男像)
一生懸命先生やデュレクターさんやマネージャーさん先輩に言われたことを可愛く太陽するまりあchanhttp://ameblo.jp/morningmusume-10ki/entry-12203747815.html
佐藤優樹さんのブログより
真莉愛が、キャラクターという陽炎を纏って、先人を切って闘いに挑む姿が目に浮かぶ。最強まりあへの道。だが、理不尽な暴力に晒されることがないように。無理をして、自らを苦しめすぎることのないように、と願う。